
飯塚知一オーナーの本業など
一貫物流企業である株式会社シンコーの代表取締役社長主な業務は重機などの海外への輸送、現地への搬入、据付。
競馬関連では新潟馬主協会の会長も務めている。
ちなみに新潟馬主協会は特に新潟と縁がなくても入れるらしく、プロフィールを見る限り新潟に全く縁がなさそうなサミーの会長やバローズの社長なども会員になっている。

You Tube番組「Follow a dream」に出演する飯塚オーナー
なおシャドウディーヴァやドルチェモアの馬主でお馴染みのスリーエイチレーシングが飯塚オーナーの法人名義だと言われているけれど、元代表となっている。現在、どの程度の深い関わりがあるのかは不明。
飯塚知一オーナーの馬主歴
JRAでの初出走は日本がバブル景気に沸いている頃、1988年のラブフォーティーの新馬戦で15番人気で10着。初勝利は2頭目のチャイナムーンの未勝利戦で、馬主になってから15戦目だった。
飯塚知一オーナーの活躍馬
重賞初制覇はJRAの馬主になって16年ほど経った2004年根岸ステークス。江田照男の乗ったシャドウスケイプが7番人気で後方11番手から一気に全馬を抜き去って豪快な重賞制覇を決めた。
他にシャドウゲイトが中山金杯と中京記念、ダークシャドウが毎日王冠とエプソムカップ、ルックトゥワイスが目黒記念を勝っている。
JRAのGⅠは未勝利も、シャドウゲイトが2007年のシンガポール航空国際カップを勝っている。1着賞金は159万シンガポールドル。当時のレートで1億2千万円くらいなので、天皇賞(1億3200万円)と同程度の賞金を獲得している。
飯塚知一オーナーの高額落札馬
セリ市での購入が多くないオーナーで、高額で取引された馬は少ない。一番高額だったのはシャドウスケイプ(父フォーティナイナー)で、1999年セレクトセールにて5880万円で落札。
シャドウスケイプは飯塚オーナーに初重賞制覇をもたらしてくれた馬で、大枚はたいた期待通りに走ってくれたなら、調子に乗ってその後のセレクトセールで高額馬を買ったりしちゃいそうなのに、自制心がありますね…。
シャドウ馬と私の与太話
若かりし頃にシャドウランサーの菖蒲Sで馬券勝負をしたことがある。今となっては根拠が思い出せないけど、岡部騎乗のシャドウランサーは1枠1番に入っていて、とにかくメチャクチャ自信があったことは覚えている。
今のようにネット投票が発達していない時代。その日はリアルタイムでは買えなかったので、朝イチでWINS横浜に突っ込んだ。
9時になると同時にWINSの窓口のカーテンが一斉に上に開く光景を見たのはあの時が最初で最後。
謎の自信に満ち溢れた20代前半の私は前売りで全てシャドウランサー絡みの馬券を10万円購入。
レースはリアルタイムで見ていたけど、シャドウランサーは前めの好位置に付けて無抵抗で失速。2番人気で12着の大惨敗。
今でも鮮明に憶えている悲しい事件。
あの日の朝は本当に希望に満ち溢れていた…。
飯塚知一オーナーの命名傾向
冠名はシャドウで8割以上の馬に付けられている。前シャドウも後シャドウもあり。
シャドウ以外ではルックトゥワイスが現状ではほぼ唯一の活躍馬。
飯塚知一オーナーの勝負服

<青、黄縦縞、袖黄一本輪>
勝負服作成サイト:勝負服チェッカー
※本記事は更新日(2022/12/27)時点での最新情報となっています。